左上の図は地震調査研究推進本部が2015年1月に発表した全国の主要活断層の30年以内の発生確率を表しています。
ただし、この図にない活断層が動き、巨大地震が発生する可能性があることも十分念頭に置いてください。
また、今回の熊本地震を引き起こした日奈久断層の地震発生確率は0~16 パーセントという数字であったにもかかわらず発生しています。
それを頭に入れたうえで、上の見出しの数字を再度ご確認ください。
これは30年以内にそれぞれの地震が発生する可能性を表す数値です。
先ほどの日奈久断層が最大で16%だったことを考えると、大地震が起きる可能性がいかに高いか、よくお分かりになると思います。
つまり、首都圏および、東海地区、四国地方は明日にでも巨大地震が起きて不思議ではないのです。
さらに2016年5月に、海上保安庁から巨大地震の実像に迫る世界初のデータが公表されました。これは2006年から10年の歳月をかけて、南海トラフの海底でプレートがどのように移動しているかを詳細に調査したもの。
静岡から九州にかけての南海トラフに沿って15か所に特殊な装置を設置。プレートがどのように動いているかを観測しました。
その結果、15か所すべての観測点で北西方向に移動していることが判明。
それが右下の資料2になります。最も大きく動いたのは四国沖の5.5㎝/年、次いで東海沖の5.1㎝/年でした。
このプレートが動いた距離のデータをもとに、南海トラフのどこにひずみが溜まりつつあるかが推計されました。
するとやはり大きく動いた四国沖と東海沖遠州灘により非常に大きい地震のエネルギーが蓄積されており、「地震の巣」が形成されつつあることが分かりました。
これまで比較的、危険度が低いとされてきた遠州灘沖が、かなり危険であることが判明したのです。また、この地震のエネルギーはこれまで想定していたものよりも大きいこ
ともデータから判明しました。
国が最悪のケースとして想定した、南海トラフ地震による被害、日本全国で死者32万人という数字が、非常に現実味を帯びたものとして認識されることになったのです。
阪神大震災の被災地に建つ
WPC工法495棟の分布図
WPC工法495棟の建物被害
2011年3月11日
巨大津波が
すべてを破壊しつくした
日本における観測史上最大、マグニチュード9.0 を記録する未曽有の巨大地震が東北地方を襲いました。津波によっておもちゃのごとく壊れ、流されていく住宅。信じられない光景が延々と続きました。
世界で起きるマグニチュード6以上の地震は、実に20.8%が日本で起きています。
同じような巨大地震がいつ日本列島を襲ってもおかしくないことを、しっかりと肝に銘じておくべきでしょう。
宮城県仙台市若林区、海からわずか700mしか離れていない場所にWPC住宅が建っていました。
当然のことながら津波によって周囲の家々はすべて押し流されてしまいました。
そんな状況の中、WPC住宅だけは流されずにすんだのです。オーナーである佐藤喜美夫さんにお話をうかがいました。
三月十一日当日の状況をお教えいただけますでしょうか。
佐藤喜美夫さん
震災発生時は職場にいました。仙台市内のタクシー会社で配車などをしていますので、そこで大きな揺れを感じました。
震災直後は信号も不通でしたし、規制線が張られていたので自宅に帰ることもできませんでした。
もともとこの地区の住民は津波が襲ってくるなんて思ってもいませんでしたから…我が家も海岸から約七百メートル離れていますから、津波が襲ってくるなんて想像もしていませんでした。
自宅に帰ったのは翌日です。警察の方から十二日に荒浜に入ってもいいということで自宅にたどり着きましたが、随分遺体も見ました。
私は戦争の経験はありませんが、「これがこの世か!」って感じでした。地獄絵図でした。
ご自宅はどのような状況だったのでしょうか。
佐藤さん
周りはほとんどの家が流されたり原型をとどめていない状態でしたが、我が家はちゃんと残っていたので驚きました。ただ、この家の壁に車がぶつかって三台重なって止まっていました。二階に上がった時に胸高くらいに水の線がありましたから、この辺で津波は五メートルくらいだと思います。
家の中は大変な状況です。窓から入ってきたんだと思いますが、なんと海岸線にあった防風林が根っこごと三十本以上ありました。家の中を進むのも大変です。自衛隊の方がチェーンソーで切って出してくれました。さらに冷蔵庫や洗濯機が突っ込まれているという感じでグチャグチャでした。
このWPC住宅はいつ頃、どういう理由で建てられたのですか。
佐藤さん
建てたのは昭和六十三年です。宮城県は過去に大きな地震が何度も来ていますから、「地震に強い」ということでこの家を選びました。
ただ、津波のことは全く考えていませんでした。
このWPC住宅があったおかげで、命が助かったというお話をお聞きしましたが…
佐藤さん
実はお隣の家がまだ残っていたと思いますが…私の家が流されなかったおかげで、防波堤の役割になったのだと思われます。
お隣の家が流されず、お父さんが屋根に上って、その後ヘリコプターで助け出されたそうで、お会いした時に「佐藤さんの家があったから、木造だけど津波で流されなかった。この家がなかったら、一気に持っていかれて流されていた。本当に有難う。おかげで命が助かりました」と頭を下げられました。
佐藤喜美夫さん
2016年4月14日・16日
2度の震度7の激震に
多くの建物が大破した
2016年4月14日21時26分、熊本県熊本地方を震源とする、マグニチュード6.5の地震(前震)が発生。熊本県益城町では震度7を観測しました。
その28時間後の16日午前1時25分には、マグニチュード7.3の地震(本震)が発生。この2度にわたる震度7の地震は、甚大な被害をもたらしました。
古い建造物はもちろんのこと、「地震に強い」をうたい文句にしている住宅メーカーの建物の多くも破損を余儀なくされたのです。中には1階部分がつぶれ、全壊した建物も数多くありました。
本来は災害から命を守るべきはずの住宅が、人を押しつぶす「凶器」となって、今回もまた多くの尊い命が失われてしまったのです。
下の表は、地震発生後(5月3日~8日)に日本建築学会により実施された、
益城町の一部地域にて建築物の被害状況を、構造体別および建築時期別に表したものです。
続けざまに震度7が2度襲ったことは想定外の被害を引き起こし、木造建築では2000年以降でも50%近くが被害を受け、
鉄骨づくりでも建築時期が2000年以前だとやはり50%近くが被害を受けているのが分かります。
熊本地震における構造体別・建築時期
別の建物被害状況
2度の震度7を受け、最も被害の大きかった益城町宮園地区。
この場所に築28年の百年住宅(WPC住宅)がありました。
2度の激震にも躯体損傷が全くなかった「無傷」の状態。お住まいの栁川成章さんに当時の状況をうかがいました。
1回目の地震があった14日の午後9時25分ごろですが、栁川さんはどこで何を
されていらっしゃいましたか?
1回目の地震があった14日の午後9時25分ごろですが、栁川さんはどこで何をされていらっしゃいましたか?
栁川さん 14日はですね、お風呂から上がって、ソファーでテレビを見てましたですね。
地震が来たときはどんな揺れ方だったんですか?
栁川さん いきなり縦揺れが「ど、どーん」と来て、その後、横揺れが来てという感じでしたね。
時間的にはどのくらい揺れた感じですか?
栁川さん 10秒か20秒くらいでしょうか。
物は結構落ちてきたりしましたか?
栁川さん
台所の食器棚からものが落ちてきて、茶碗なんかが割れましたね。でも、その程度でした。
ただ、すぐに停電になってしまって、その日は息子たちと避難所へ行ったんです。
翌日はいったん帰ってこられたんですか?
栁川さん 帰ってきました。本棚とか割れた食器とかを片付けながら、結局、夜の1時くらいまでかかりましたかね。そして2階に上がって寝たんです。
で、2階に上がられて、寝られた直後くらいに2度目の地震が来たんですか?
栁川さん そうですね、寝付くか寝付かないかの頃、20分、30分後ですから。
その時はどんな揺れでした?
栁川さん
2回目ははっきり覚えているんです。最初は縦揺れでド・ド・ド・ドと来てね、その次に横揺れがダ・ダ・ダ・ダと来て。
それこそ、びっくりしましたね。阪神大震災も大阪で経験したんですけどね、その比じゃなかったんで、こりゃぁもう、大変なことが起きたなと思いましたね。
外に出ようとしたんですが、廊下側に物が落ちて挟まったらしく、寝室の扉が開かないんです。で、仕方なくベランダへ出て、そこにはしごを掛けてもらって、脱出しました。
でも、真っ暗の中ですよね。
栁川さん そうです。真っ暗です。でも、どうにかはしご伝いに降りて、避難所へ向かったんです。しかし、途中で道が崖崩れで通れませんよ、ということになって。で、近所の方は皆さん近くの空地に集まっておられたんで、ここで今夜休みましょうということで、そこで一緒に混ぜてもらいましたね。
そして翌朝、帰ってこられたわけですね?
栁川さん まず帰ってきて、周りをずぅっと見て歩いたんです。そしたらまず傷らしい傷は何もないし。じゃっかん玄関タイルには亀裂があったりはしましたけど、ほとんどありませんのでね。家の中は今言ったように物が散乱してましたけど、家自体は何ともなかったんで、これだったら住んでも大丈夫だなと思いましたね。
周りはほとんど瓦が落ちてたり、潰れたりしている家が多い中で、この家はほと
んど損傷がなかったわけですよね。
周りはほとんど瓦が落ちてたり、潰れたりしている家が多い中で、この家はほとんど損傷がなかったわけですよね。
栁川さん そうなんですよね。一見、ものすごく新しいと思うような家でも傾いてたり、1階が丸ごと押しつぶれていたり……。そういった面では私の方は何にもなかったんで息子ともども喜んだんですけどね。
28年前のお話になりますけど、このWPC住宅を選んだ理由はどういうところに
あったんでしょうか?
28年前のお話になりますけど、このWPC住宅を選んだ理由はどういうところにあったんでしょうか?
栁川さん
いろんな展示場を見て歩いたんですが、今までずっとコンクリートの官舎住まいが多かったものですから、鉄筋コンクリートがいいなぁというのが1つあったのと、百年住宅は地震に耐えられますということだったので、それが決め手になりましたね。
あと1 年で定年という時に建てた家ですから、もうこれ以上は建て替える機会はないだろうと。だったら、丈夫な家の方がいいなぁというのが一番の希望でしたから。
今回熊本地震を経験されて、今後家を建てられる方にアドバイスはありますか?
栁川さん やっぱり堅牢であること。ということでしょうね、やっぱり。その1点に尽きるでしょう。
被災地域に建つWPC住宅23棟すべて「無傷」
(赤枠は震度7の地域 オレンジ枠は震度6弱の地域)